昨日の朝礼での『ハレの日』の話の続きです。
若手社員片平君の雑学
若手男性社員が教えてくれた雑学に驚きでした。今日はその話を皆さんとともに。。。
お葬式は『ハレの日』に含まれるのか?と話合っていた私たち。特別な日だとするならば、残された人たちにとってその日が記憶に残るべく大切な日だとするならば、ということで
お葬式を『ハレの日』としても考えることもできるだろうと・・・。
一人づつ、『ハレの日』について話を繋げていくのですが、
片平君は言いました。
像は、人間と同じように家族や仲間という集団で生活する生き物です。そして像は人間と同じように、仲間の死を悼む行動をすることがわかっています。死を迎えた像に仲間の像が草をたむけるかのような行動が観察されているのです。
お葬式に参列することは心の整理だった
そして彼は、自身の辛かった記憶を胸に
僕は3年前に親友を亡くしました。とても悲しいことでしたが、あの時お葬式に参列出来なければ、未だに心の整理がつかずどうなっていただろうと思うのです。
私たち人間は、大切な人の『死』を受け入れるために『弔い』という形で様々な事を行い発展してきました。
弔いの形
お葬式という儀式
花をたむけて偲ぶこと
思い出話とともに開催される会食
懐かしい写真を飾る
石碑というシンボルを立て供養する。
『死』という出来事を受け入れるためには何かしらの行動が必要なのだということなのではないでしょうか?
死感じ、生を知る瞬間
『死』を近くに感じるとき、その反対側で自らの『命』生きる事を再び噛みしめる。
墓じまい
お葬式の簡素化
直送
時代と共にお別れの形は変わっても『弔う』何かが残っていく事を願う。
葬儀という『ハレの日』
私たちは、生が限りあるという現実を目の前にし、自らの生に向き合うこととなる。