今朝、会社の朝礼で『ハレの日』についてそれぞれの意見を語り合った。
ハレの日とは?
『ハレの日』をイメージすると
何かを記念すべき日、人生で一度限りとなるかもしれないとてもめでたい日、たくさんの人から祝福されるなどの特別な日、心待ちにしていた日といったように、未来にむかってステップアップするようなイメージの日ではないだろうか?
お葬式にお赤飯で祝う???
お葬式を携わる中で、天寿全うと家族がその人生を悲しみだけではない状態で送りだすお式に出会う時があります。
『100歳を生きた長寿の方のお葬式』
これは、地域の風習によるものだと思うのですが、儀式を終え、集まっていただいた親戚縁者に『お赤飯を』を準備してお渡しすることがあります。
なぜお赤飯をお配りするのか?お祝いの時に食されるお赤飯がなぜお葬式に?
なぜお赤飯が準備されるようになったのか?正しくは知らないのですが、ほとんどの場合は、長生きしてきたその故人に対しての敬意であったり、あやかりたい想いが語られているような気がします。
長寿であれば、葬儀はハレの日となるのか?
となると、長寿であれば『ハレの日』の旅立ちと言ってもいいのだろうか?
こんな事を思い、私は自分の人生について考えてみた。私は、ある時から、人生は終わりがあることを意識した。その終わりを強く意識した日から、
『今日が私にとっての最後の日』として生きてきている。
それは具体的に何を意味するかというと、
分からない事を据え置かない。
『ありがとう』をいっぱい伝える
『ごめんなさい』は早めに言う
やりたいと思ったら即行動
会いたい人には積極的に会いに行く
などなど、、、、、
行動による後悔がないようにしているのだと思う。
しっかり生きた先には皆『ハレの日』に旅立つこととなる
そう考えると、私は年齢に関係なく旅立つ日は『ハレの日』と言い切れる。
私の『ハレの日』
ずっと前からいっているように、誕生パーティーが開かれるかのように私という主人公不在で繰り広げられるお葬式。
ハレのお葬式に準備するもの
そうだ、シャンパンを用意しておこう。
シャンパングラスに乾杯ならぬ献杯のグラスの心地よく重なる音が頭で鳴っている。
旅立ち後の行方は誰もわからないが、集まった人達が語る私の思い出話や悪口などをその上から眺めてみたいものだ。