見事な最期
彼女の年齢は90歳、少し腰が曲がり、膝の痛みを抱えていたものの、お稽古になると年齢を感じさせない熱いまなざしを弟子に向ける。
あの日も、神社でのお点前のためにお弟子さんの車にお茶の道具を一式積んでいつものように出かけるところだった。
その途中、体調の変化を弟子に訴えた彼女はそのまま帰らぬ人となった。
一見驚きの旅立ちのように感じるのだが、残された皆は一様に『先生らしい旅立ちだった』と言う。なぜなら、彼女はお気に入りの若草色の美しい着物を着て、いつも以上にその装いは美しいものだったからである。
お葬儀の打ち合わせ
本来お葬儀というものは、家族が決めていくものだと考えるのが一般的だろう、がしかし今回は彼女に教えをいただいていたお弟子さんもそこに加わっていた。
打ち合わせのテーマは、『先生らしく最後のお別れをするには』だった。
ある意味、息子より先生のことを知るお弟子さんは先生の好みをつかんでいる。
家族とお弟子さんと和やかに打ち合わせは進んでいく。彼女は、生前中自分のもしもの時についてお弟子さんに語っていたことも打ち合わせをスムーズに進めた大きな要因だろう。
お気に入りの着物に着替えて眠る姿
お亡くなりになったのは病院でした。そのため一度は病院用の浴衣に着替えていた彼女のお召し物を再び若草色の着物に着せ替えをする。
着替えとお化粧を済ました彼女は、まるでお昼寝でわずかに眠っているように健やかなお顔でした。
お弟子さんは彼女の家族のようなもの
告別式の当日、お弟子さんは旅立ち前の一服(お抹茶)を丁寧に立てていました。
ご霊前にお供えした時、先生はわずかにほほえんでいるようにも感じました。
しめやかなるお経が終わり、いよいよ旅立ちのその時、
一番弟子は今一度、先生に感謝の一服を再び。その最後の一服を弟子のひとりひとりが手に取り先生の口元に運んでいきます(樒の葉にお抹茶を浸し口元へ)
そして最後に、先生への感謝の言葉をまるで合唱のように皆でそろってお伝えしていよいよお別れです。
私が大切にしたい想い
私が大切にしたいお葬儀とは決して式典の限られた時間の事ではなく、打ち合わせをしながら故人を思う時間であったり、集まってきた人々が故人の思い出を語らう時間であったりそのすべての時間を大切にすることなのです。
葬儀に立ち会ってきた私が思うお別れのタイミングとはそれぞれのプロセスでやってくるものです。
人によっては、お経(引導法語)がお別れへの心の区切りを助けてくれたという方もいるでしょう。またはお花をたむけている時にそれを感じる方もいることでしょう。また今回のようにお抹茶を通じて先生と対話している時が区切りとなる場合もあることでしょう。
お葬儀のお別れに正解はなく、大切な方と自分との間にどのような思い出があったか?それをもとに感じるすべてを大切にして欲しいと願っています。