ある方の ご葬儀での 喪主の挨拶。
喪主:私にとっての父は、本当にヒーローのような存在でした。
なかったものを立ち上げる力、
そのバイタリティにより起業をし、
それが一つに収まることなく、次の事業へと展開。
友人もたくさんいました。
地域の活動にも積極的でした。
そんなことから、地域のありとあらゆる役職が父のもとにやってきました。
それを上手にこなす父。
楽しく、豪快で、粋で、派手なことを好んだ父。
ですから、この父のお別れは 会場いっぱいの人で送ってあげたかった。
コロナによって、本当に限られた方にしか お声かけできなかったことは残念でなりません。
僕ができることは、父の遺影写真の前をお花でいっぱいにして父らしく派手やかに、賑やかにすることぐらいなのがとても悲しいです。
残念な気持ちは拭えませんが、父が私たちの残してくれた記憶は、今後も輝いたままで 永遠に心に残り続けていくと思うのです。
※喪主挨拶のほんの一部です。
コロナによる影響はすべての生活に変化をもたらした。
お葬式の現場においての変化はというと、
- 葬儀場に、会葬に来ていただく人に制限をかけることが増えた(ガイドラインにより、三密をさけるため)
※もし一般の人々に会葬を と考える場合は時間差で会場に足を運んでもらう。
- 自宅での葬儀も若干増えた、
※どのみち家族だけに限定するのなら、昔のように慣れ親しんだお家から送りたい。
この他にもまだまだ変化はあるのだが、比較的多くの割合で、
『コロナのこともあるし、
家族だけでお別れすればいいわ、
わざわざ来ていただくの申し訳ないものね』と
コロナだから家族葬だと言っているようにも聞こえるし、
コロナからの変化を受け入れているようにも見える。
長い人生にはたくさんの役割がある。
今回の故人様であれば、
父
夫
祖父
兄
経営者
地域人
などなど・・・・
家族以外とかかわってきた社会との時間、
それぞれの場面で出会った様々なご縁との区切りをどうするか?
家族葬の抱える課題はそこではないか?と思う。
そしてこれに正しい答えがあるわけではない。
コロナの影響は、すべての生活に変化をもたらせた。
それは、良いこともあり悪いこともあるのだろ。
とはいえ、受け入れるしかない変えられない事実は、良きものに変えていくしかない。
そうやって私たちはどんな時代も乗り越えてきたのだから。
『お葬式はいったい誰のものか? 』
今日も自分の人生を見つめながら、その答えに思いを馳せている。