この地方では、喫茶店文化が浸透していて多くの人が
「モーニングコーヒー」
と称して朝ごはんを喫茶店で食べている。
私の母も父もそれぞれにお気に入りの喫茶店があり、決まった時間に決まった場所に行き、これまた決まった人たちに囲まれ会話に花を咲かせている。
こんな事を言うと不謹慎だが、いつか私の両親もこの世から旅立つ日がやってくる。そうなると、父と母のどちらかがおひとり様となる。 二人の三人の娘(ちなみに私は長女である)は誰一人として同居しているわけではないので、その後の一人生活に、私たちがどうかかわっていくかを話し合ったわけでもなし、具体的な事を想像することもないのだが、父や母にこのようなお気に入りの場所があることは安心な事である。
毎朝の喫茶店というある一種のコミュニティの参加は、とてもカジュアルで、何の意気込みもなく ただただ楽しい気持ちで存在している。
顔なじみの人たちの間では知らない間に築き上げられた親近感と仲間意識にルールのない出席確認という作業が組み込まれる。
毎日来ていたはずの誰かが顔を見せなければ、1日目は用事だと想像し、2、3日目は忙しいのだろうか?と思いやり。4日目には、
「何かあったかもしれないね、連絡してみようか?」となるだろう。
家族の存在もさることながら、こういったコミュニティの輪が共助となりお互いの存在を支え合うことになるだろう。
今日は、土曜日。
私たち家族にとってもモーニングを楽しむことが出来る朝。
馴染みの喫茶店には、あれよあれと、いつもの仲間が集まってきてテラス席にはおひさまの光とあたたかさが差し込んでいた。
年を重ねて、おひとり様になったとしても、
「頼れる友人」がいてくれたら遠くの子供たちより安心感が手に入るのではないだろうか?!と感じたそんな朝でした。