喧嘩を紐解く

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昨夜、眠りにつくまでの本来のリラックスする時間が夫婦喧嘩となりました。

ふっかけるのは私

そもそも、喧嘩をしようと思って話をすることはない。が、こうして眠りから覚めて昨日のことを全体的に引いてみてみると、どこか相手の行動にケチをつけたい私がいたのかもしれない。

時間の遣い方がうまくいってないような気がするんだよね。もう少し何とかならないもんかな?

問題は、子育てのことだった。共働きの私たちにとって子供との密な時間確保、それをどうしたら協力しながら皆がハッピーになるか?いつでも大きな課題なのだ。

それを強く意識する私は、今のやり方ではダメだから、あなたも、私も(ここが大切)もう少し違ったやり方を試さないか?という提案をしたかったのだ。

が、先ほどの言い方をみると、

『私のやり方は間違っていないわと言っているようでもあり、だからあなたは間違っている』と指摘しているかのように取れる。

ジャッジ(判断をくだす)がすべてのその原因

私の頭の中では気が付かないうちに、裁判官が登場していてどちらが正しいのか?誰が犯人なのか?とやり取りをしていたのかもしれません。

そうなった後の言葉は、どうしても相手を責めるような角のある言い回しとなるのだろう。

そもそも、どちらが正しいか?の議論をしたかったのではなく『子供との向き合い方』について話がしたかったはずなのに。

正しい答えは一つではない

どちらかのやり方が選ばれそれを採用しようという仕事のような話ではなかった。それなのに私ときたらなぜだか一つの答えを求めてしまうのだ。

冷静に考えれば、お互いに子供の事が大切でそれぞれのやり方で向き合っていけば何の問題もないはずなのに。

理解されたいならまずは理解してみよう

『私の事を分かってくれない』と苦しくなる私。

一番努力しなくてはならない人は話し手ではなく、聞き手である

       フランクリン・コヴィー

相手の世界で物事を見てみよう

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加藤 京子

愛知県 稲沢市の葬儀社で生まれ3代目としてお葬儀の仕事に従事して25年になります。私が最も心がけているのは『皆様の生きるを応援すること』です。良いお葬儀とは何か?皆さまに寄り添いお手伝いしています。