家にある宝物について

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昨日、三女の誕生日ということで夕食に私の両親を誘ってみました。

食事での会話が弾むとき

何のきっかけでそういう話になったのか?それは分からないのですが、父が突然自分の20歳ころについての話を始めた。

お金がなく、人一倍働くことが生き抜いていくためには必要だと信じていたそんな時代のこと。

とにかく、お給料の全ては実家に入れたそうです。

ボーナスで実家にテレビを買った時、祖父がどんなに喜んだか?などなど豊かな時代を生きてきた私たちには想像しにくい話です。

父は物のない時代、お金のない時代を生きてきた人だということを改めて感じました。

だからなのか、一つ一つの行動がとても慎重であり、それが故か説明に関しても若干くどい。

働くことが生きる事であると信じている父は、80歳を過ぎた今でも現役であります。

夕飯を誘った時には仕事場にいました。しかしそちらを早めに切り上げて孫のために飛んできてくれたのです。

とにかく嬉しそうに、懐かしむように苦労話をする父。今日の主役は三女という事をすでに忘れてしまっていました。

実家にあった柿の木

私の生家には大きな柿の木があった。本当に古い家で、思い出すとセピア色のように色あせた家を想像するのだが、私にとって柿の木のオレンジだけは見事に鮮やかに思い出される。

person holding yellow fruits

父はその柿の木が家を助けたと言っていた。

お金がなかった父たちにとって、人様にお願いをした後のお礼は庭になる『柿の実』だったそうだ。

今だったら考えられないのかもしれないが、仕事の上での無理なお願い、物の貸し借りにしてもそのお礼はすべて

『柿の実』だったそうなのだ。

柿の実とても喜んでもらってね。柿の木があったからちゃんとお礼することができたんだよ、と…..。

ありがとうを言える人でありたい

私の父は、わがままなところもあるし、自分勝手なところもある。それは時に母を困らせたり娘である私たちにも理解不能だと思わせる一面もある。

が、『ありがとう』をたくさん言える人でもある。

それは、私たちに向けてもそうだし、社員の皆さんに対してもそうだ。

それはきっと、これまで生きてきた人生の中でたくさんの人に助けられ、援助されながら来たことを身に染みて感じているからなのだと思う。

家の中にある宝物は

あいにく、わが家にあった『柿の木』は家を建て直す時に切られてしまった。

orange fruit on tree during daytime

柿の木はもう私の実家には残っていないが、父から教わった

『ありがとう』の力は私から私の子へ繋ぐことの出来る宝物だと気が付いた。

『感謝』の心があれば、心が折れそうなその時だって、今ある何かに目を向けて『ありがとう』って言える。

今日も、美味しいご飯をありがとう。

今日も天気でありがとう。

お父さん、働いて働いて、私たち娘に多くの間違いや失敗をする機会も黙って見つめ、再チャレンジにまで行かせてくれてありがとう。

その何度でも立ち上がりチャレンジした人生があるからこそ私は今の全てが手に入っていると感謝をしているのです。

次の世代に引き継ぐものは、物質的なものだけでなく生きるための多くの知恵でもある。

お葬式に携わる私たちはそれぞれのお家にある宝ものとなるエピソードに心がほっこりとする瞬間に立ち会う幸せを頂いています。

これもまた『ありがとう』ですね。

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この記事を書いた人

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加藤 京子

愛知県 稲沢市の葬儀社で生まれ3代目としてお葬儀の仕事に従事して25年になります。私が最も心がけているのは『皆様の生きるを応援すること』です。良いお葬儀とは何か?皆さまに寄り添いお手伝いしています。