子供の誕生日に思う事

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今日は、三女の誕生日。

三女は、6歳になりました。私は50歳。夫は51歳。

決して若いとは言えない私たち二人。二人目の出産から11年の年月が流れて授かった三女は家族全員にとってのアイドル。

彼女が生まれた日

確か週末前のお昼ごろ。破水したかもしれない?!病院も休みになったら困るということで病院へと向かったことを思い出す。

今日中には産まれるでしょう。と出産も三回目ということでドクターも私も慌てることなく、その時とタイミングを待つことにした。

確かそんな気持ちだったと思う。

週末前だったこともあり、子供たち(次女)も病院に付き添ってくれた。確か長女は学校だった。

旅行に出かけける時のように、

『もう着く?』

『後何分くらい?』みたいに

『後どれくらいで会える?』と聞く次女。

それは誰にも分らないよ。その時は大仕事の後にしか来ないのだよ。言葉にはできない痛みと戦った後、その時は訪れる。

そしていつか、自分がその時を迎える日がきたのなら子供に会えることが簡単ではなく奇跡のようなことだと実感するのだろう。

出産に関しては、誰もが聞いたり想像をしていた痛みや凄さよりは何倍ものドラマが待っているのだ。

ドクターがもう少しかかりそうですね。と言った。

次女は、仕方なくバレエのレッスンに向かうこととなった。夫は次女を送るため病院を離れた。

二人が行ってしまったそのすぐ後、陣痛は始まった。

出産の痛みが変わるわけではないが、この程度の痛みでは産まれない、それは経験上分かる。

何度も、自分に『まだまだ!まだまだ!』と言っている間に分娩台に上がった。

そこからはあっという間だった。

『生まれましたよ』

と言われたか?そこまでは記憶にないが高齢だったこともありホッとした気持ちだったことは間違いがない。

次女との対面

なぜだか、その日の記憶はその部分だけがとても強く残っている。

それは、バレエのレッスンから戻ってきた次女が廊下を顔をくしゃくしゃにして泣きながら『生まれた~』と言いながら走ってくる姿だ。

出産の感動より、次女が新しい命に感動していることの方が心に響いた。

長い間、妹の存在だった彼女がお姉ちゃんになった瞬間。私は彼女をお姉ちゃんに出来たことがとても嬉しかったのだ。

長女との対面

長女は穏やかに嬉しさを表現していたと思う。

小さな小さな新しい命を腕に抱きキラキラとしていた。

私は、その時なぜだか長女を頼もしいと思ったような気がする。長女はよりお姉ちゃんらしく振舞っているかのようだった。

夫との対面

夫が一番感動するのだろうと思っていたのだが、その期待は裏切られた。

感動して涙でも流すのかと思ったらそうでもなかった。

後々その時の事を聞いてみたら、

何をどう思っていいのか、わからなかったとのこと。

実は、出産してから私と子供に会うまでには随分と待たされたようで、待ちくたびれていたというのが本音なのかもしれない。しかも子供との初対面は看護師に抱かれた赤ん坊。夫婦の時間、家族の時間はもうしばらく後だった。

三女と過ごす時間

彼女が成人を迎える時、私は64歳 夫は65歳。

長女は33歳 次女は、31歳。

夫も私も健康で元気でありたいと願う。

それでも人生は何があるかなんてわからない。

もしもの時はね・・・って私はそんな話をよく子供たちにしてきたし、これからもするのだろう。

これは保険みたいなもので、とりあえず話をすることで頭の中に最悪のシナリオを想定しておく。そうすると、ちょっと悪いことがあったとしてもたいしたことないと感じられる、かもしれない。。。そうであっても、そうでなくても我々は乗り越えていくのだが。

三女に関しては、私たちと過ごす時間が一番短い娘となる。

私たちは、上の二人の子育てよりも少し賢く穏やかになっていて楽しめる事が増えたような気がする。

幸せな時を出来るだけ長く見られますように

出来れば、三女の結婚する日まで、

出来れば、三女がお母さんになるその日まで、

子供たちの手を煩わせることなく健康でいたいと願う私。

やがて、三人の娘が旅立った後、再び夫と二人に戻った後は出会った時の恋人どうしのように暮らしたい。

私はそれが夢だ。

『私がボケたら施設に入れてもいいけど、それ以外は私とずっと一緒に生きて欲しい』

娘の誕生日に思ったのは夫婦の形だった。

two persons holding hands

ここでお話しすること、私が今日感じた些細なことや、どうでも良いことを綴っています。この記事の発言は、私個人の見解に基づくもので、所属組織を代表するものではありません。

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この記事を書いた人

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加藤 京子

愛知県 稲沢市の葬儀社で生まれ3代目としてお葬儀の仕事に従事して25年になります。私が最も心がけているのは『皆様の生きるを応援すること』です。良いお葬儀とは何か?皆さまに寄り添いお手伝いしています。