親の心子知らずのあたりまえ

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私は18歳、高校卒業をするのを待って、

卒業式の翌日ピアスを開けた。

その時、母に了解を取ったのか?

それとも勝手に友達と一緒に皮膚科(根性がなかったので自分では開けられませんでした)に行ったのか?

今やもう忘れてしまった。

それから、誕生日を迎える度に、耳にひとつづつ穴を増やし、大小さまざまな飾りをつけ、ぶら下げ とても満足していた。

そんな頃には、親の了解を取って何かをするなんて言うことは全く考えもしなかった。

高校を卒業したのと同時にアメリカに渡った私、

日本に帰国するのはお正月、もしくは夏の長期な休み。

その度、耳をじゃらじゃらにした私を、母はどのように見ていたのだろうか?

さて、私の娘たち。

長女高校の途中から、次女は中学の途中から、マレーシアのインター校に転向した。

それををきっかけに、

『ママ、ピアスの穴開けたいんだけど、、、』と言った。

なんと、私は自分のことを棚に上げ反対をしたのだ。

おかしな話だ。

反対するために、色々な理由を付け加えた。

若すぎる、日本に帰ってきたときに困る。医者じゃないとダメ。

あの頃の自分が聞いたら

『この嘘つき・・・・。』というだろう。

親になった途端何が変わっていくのだろうか?

反対をしていて気が付くのは、母の私に対する思い。

母もきっと言いたいことあったあろうな?!

見守ることって本当に大変なことだったんだね。

そうなんだ、親は子供に失敗する機会を遠ざけたいんだ。

なぜかって、自分が踏んだ轍だからだ。

自分の痛みなら超えられるって思うのに、

子供たちが痛くて辛いのは何にもまして苦しいからなのだ。

私は、子供だった自分を大切にして

自分が親になったら子供に特別な理解を示すママになろう。

そんなことを思った自分がいた。今だってそうありたいと思っている。

それでも、これからもあえて苦言を刺したり、反対してみたりするのだろう。

親の心なんて、なってみない限りわかるわけがない。

それでも、子供として、成長する自分の時間と反比例するように

親との時間は減っていく。

母にとって、私は永遠に子供。

今こそ、母の心に触れてみるのもいい。

母との時間にリミットがあると意識したその日から、

一日一日を丁寧に過ごしていかなくちゃもったいないよね。

ちなみにたくさんのピアスの穴は、使わない時間を経て閉じていきました。

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加藤 京子

愛知県 稲沢市の葬儀社で生まれ3代目としてお葬儀の仕事に従事して25年になります。私が最も心がけているのは『皆様の生きるを応援すること』です。良いお葬儀とは何か?皆さまに寄り添いお手伝いしています。