『鬼滅の刃』が我が家のブームとなっている。世の中で色々なお菓子や商品とコラボレーションされている事は肌で感じていた。
流行は子供からの情報で得る事が多い
子供たちが、ネットフレックスで『鬼滅の刃』を見出したのはコロナでの自粛生活が始まった頃だっただろうか?
あの頃は、『〇きめつのやいば』を『×きみつのやつ』などと言い興味も全くなかった私。
『ママ、きみつじゃなくてきめつだから!!!』と
三女6歳児に
何度呼び名を修正されようが興味を持つことなどなかった。
子供のきみつ愛は深いものがあり、ガチャガチャのハンカチは全てのキャラクターがそろうまで何度も何度も100円を入れ続けることとなった。(一度に1回しかやらない約束なので、全キャラクターをそろえるのにはずいぶん時間がかかった)
一瞬にして炭次郎の虜になりました
それが、テレビで再放送だったのだろうか?たまたま第一話が放送されていたのを見てしまった。
多分何かをしながら何となく見ていたのだろう、最初は少し前に見た韓国のドラマ
に似た、ある種のゾンビムービーに近いなと思っていました。
それが、主人公の炭次郎の妹、禰豆子が鬼(理性を持った唯一の鬼)となったことで、単なる悪として捉えるのではなく違った視点を持つこととなっていきました。
この辺りは、日本アニメの繊細さに『さすが!』と叫びたくなった私。
ただのアニメではない、その奥深さ
また、正義と悪みたいな簡単な図式の中で、
鬼殺隊が正義の組織だとすると、鬼たちは、人間の弱さやエゴに付け込んだ見せかけの家族であったり、しっかりとした縦社会が成立している。鬼たちの中にある組織は、ある意味、圧力や劣等感をくすぐる報酬体系で気持ちを操ろうとするブラック企業ともいえるのではないだろうか?
人によっていろいろな見方があるだろうが、私はこの先のストーリーを知りたくてたまらない気持ちでいっぱいになった。
3人それぞれの成長を見守る私
竈門 炭次郎(かまど たんじろう)
我妻 善逸(あがつま ぜんいつ)
嘴平 伊之助(はしびら いのすけ)
それぞれの違った個性をそのままで活かすことのできる鬼滅隊で、体力的にも、内心の強さもお互いの刺激の中で成長していく姿に応援をせずにはいられない私。
とりあえず、映画も始まった。
近いうちに映画館に足を運んで、子供たちの話題にー、世の中の流行に遅れを取らないようにと感じているのだ。
ここで、余談となりますが、お盆の時期に執り行われる施餓鬼という仏教行事があります。
餓鬼(がき)とは、生前の行い(良いとは言えない悪い行動)によって餓鬼道に落ちてしまい、成仏できないままで食べ物を食べる事も叶わずいつもお腹をすかせた状態の霊、この餓鬼たちにも救いの手を差し伸べようという行事が施餓鬼です。
あの世の事は誰も分からないのでそのような世界があるのかは分からないですが、餓鬼道に迷いこまないように生きている間はなるべく人のお役に立てるように徳を積み重ねたいものです。