『一人死』『孤独死』について
『一人死』『孤独死』を心配している、と相談を受けることがあります。子供たちも独立してしまい遠方に居を構えました。なかなか頻繁に会ったり、ちょっとした頼み事をするのは現実的ではない。
それでも、夫婦二人で何とかやってきたのだが、夫婦のどちらかは当然先に旅立つこととなる。
公助
そこで考えられるのは、『公助』
社会的な支援活動の手助けを受けるという方法です。
(困窮等)に対して必要な生活保護を行う社会福祉制度のこと。
公(税)による負担で成り立ち、市が実施する高齢者福祉事業、生活困窮に対する生活保護、人権保護、虐待対策など。
しかし、こういったものにも限界があります。
共助
そこで、もっとも大切になるのは、『共助』ではないかと考えます。
いわゆる近所付き合いや、地域の友人、知人との助け合いです。
しかし、そういったお付き合いを面倒だと考える人が増えているためなかなか気軽に物事を頼める人もいないといった問題を出てきています。
友人は命の恩人
先日こんな話を聞きました。
ある女性は、先ほどの話にもあったように、夫に先旅立たれ、二人の子供も遠方に住んでいて一人の生活をしている。
それでも、毎朝モーニングコーヒーを飲みに行く、気心の知れた仲の良い友人がいました。
ある日、喫茶店で友人が、
あなた、何か今日へんよ。なんだか、ろれつが回っていないんじゃない。体だるくないの?
そうかしら?!自分ではそうは感じていなかったけど、言われてみれば、なんだが体は重たいわ。
この後、友人に連れられて、病院に向かい検査することとなった女性。検査で脳梗塞が見つかり、そのまま入院となったとのことでした。
早い対応は、リハビリの時間を短くし社会への復帰を早めました。
女性は、友人に指摘されなかったら医者に行くことはなかっただろうとその日の事を振り返っていたといいます。
他人に迷惑をかけたくない。、という思いは誰しもが感じるところ。が、しかしちょっとした異変に気付いてくれるのは、やはり第三者でもあります。
自助
『自助』普段から、自分の体の声に耳を傾け、自らできること。適度な運動や体作りをしておくことはもちろんのこと、
近しい人に頼ることは自分が思っているより、周りは寛容であるということをお伝えしたい。
『人付き合いはどうも苦手でね』そんな方もいらっしゃるかもしれません。それでも、
『ポストに郵便物がたくさんたまっていたら少しだけ気にかけてくれないかしら?!』と声をかけておくことくらいなら相手にも負担はないはずです。
人は一人で生きるより、必要な時は『お願いね』と声をかけ合って生きていった方がお互いに生きやすいと思いませんか?
老後は友人と海辺のシェアハウス?
人生を100年生きる、こんな時代を生きる私たちは、家族に頼るという方法だけでなく、高齢のお互いを助け合う、そんな社会になっていければいいのではないかと私は考えます。
ちなみに、私の仲の良い友人は、もし子供たちが独立して夫も旅立ち一人になてしまったら、『夢の家(シェアハウス)』に一緒に住もうと私を誘います。
これが現実となるか?夢のままで終わるかはわかりませんが、そんな声をかけてくれる友人がいることが、私の老後の不安をなくすことは間違いなく、わくわく度もアップしていることは言うまでもありません。