やめてしまうと考えると苦しいことを手放すと言い換えてみよう。

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前回、皆さまの実生活の役にたつ『終活セミナー』を開催したい、その企画を練ってますとお伝えした私ですが、

このところ、自分自身と向き合う機会が多い。自分自身と向き合わざる得ない時って、

①他者との関係に何かしらの行き詰りを感じているとき

②現状が自分の望んでいるような形になっていないとき

そしてその大前提として自分としては、努力しているという感覚が強い時だと思う(努力☛もがいているのかもしれないし、子供流に言うと地団駄を踏んでいるような感じ)

こういった状態が一つづじゃなく連続でやってくるとなかなかそこから抜け出せない状態になってしまう。 

実はここ最近の私がそう。こんな状態を書いたってと思いながら、書くことで改めて整理してみることとしよう。

ここで、私の三女の話。

どの親も願うように、(私だけかもしれない)子供には自分より○○になって欲しい?!

※書きながら、○○=大物? 幸せ? 優秀? と頭をよぎるがそこにふさわしい言葉が見つからず何だか分からないが期待をかけているということのようだ。

自分の人生の失敗だったところを補うがごとく期待をかけ、習い事をさせてみたり、環境を整えたりとする。

子供にとって何が得意か分からないうちは、あれやこれやと周りのママさん情報や世間の情報を収集し子供の習い事に送り迎えをやりくりする。

当然、子供はそれらを全部こなすことに何らかの支障をきたし気分のむらを全面に押し出し

『行きたくない』言葉もしくは『行きたくないオーラ』を醸し出す。 最初は、頑張ろうと声をかける私や夫も、どこかのタイミングで

何を残して何を残さないか?

に向き合う日を迎える。 なぜ、習い事をスタートしたのか?それは彼女の未来の何のためにあるのか? 子供と対話しながら原点に戻る必要が出てくる。

ねー!○○ちゃん、ちょっと忙しすぎるからさー、お休みの多いあれ! やめない?

いや!やめないもん。

えっ!どうして?!お休み多いからやりたくないのかとママは思ったよ。

やめたくないもん、やるもん。涙😢

このようなやり取りを繰り返し結局は『やめる』にはいきつかない。

このようなやり取りを見守る夫はこういった。

京ちゃんと娘はとっても良く似ていて、やめる事☛何かを途中でやめることは悪いことという罪悪感であったり、やめる事☛何かに負ける、何と戦っているのかは知らないけどね。。。。。。 という自分を手放せないんだよ。きっと、、、

かつて、習ったことがある。上手くいってないときはそれまでのやり方を手放す時だって、、、

手放してやっぱり必要だと思ったら、もう一回拾えばいいから、

やめるってことを手放すってことにする?

子供の習い事ならいったん『休憩する』といった形でお休みをする。

私の場合なら、今のその状況そのものを、もがく、行動する、抵抗する、そのものをストップしてみる。

手放してみる。

BE FREE 

わ~、私が求めていることじゃない。

解放された自分は新しい発見に出会うことでしょう。

やめるんじゃないよ。手放すんだよ。

娘には、ちょっと休憩しよっか?!って声かけてみる事にする。

家族って生活しながら家族らしくなっていくものだと感じている私。

時に優しく、時には激しく???(それは少ない方がいいのだろうけれど)お互いを知りながら生活を重ねていく日々。

思い出という記憶や共に過ごす日々の中で増えていくモノたち。

親になると、子供に残すものばかり真剣に考えるのだけれど、

『何を残さないでおくか?』

実は、これって皆さんあまり深く考えないのです。

現在、弊社で開催している『終活セミナー』は、資産の整理やモノの整理のことをたくさんお伝えしています、

『(仮称)NEW終活セミナー』では、生きている間に自分と向き合いながら、上手に手放す方法もお伝え出来たらいいなと現在思案中です。

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“結んだこころ”に寄り添う葬儀を。稲沢市・一宮市・清須市のの【かとう】セルカホールです。

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この記事を書いた人

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加藤 京子

愛知県 稲沢市の葬儀社で生まれ3代目としてお葬儀の仕事に従事して25年になります。私が最も心がけているのは『皆様の生きるを応援すること』です。良いお葬儀とは何か?皆さまに寄り添いお手伝いしています。