何かの記事で読んだのだと思う。 確か、石井ふく子さんと橋田壽賀子さんとのお話しだったと思う。
皆さんも知っての通り、『渡る世間は鬼ばかり』のプロデューサーと脚本家という役割で二人三脚で歩まれた道のりは60年にもなる。
もちろんお二人は、血のつながった家族ではない。
現在、家族とは?といえば違った環境で育った、血のつながらない誰かと婚姻をすること、そこから子供が生まれるか?そうでないかは別にして、そういった1人から2人での生活になることを家族というように思う。
しかし、人生の長さを考えると今までの家族という枠組みだけではひとまとめにはできない、新しい形のスタイルはすでに生まれているだろうし、今後も増えていくだろう。
夫婦だってもともとは赤の他人。
家族になることは、その枠組みをさしているのではなく、過ごす間、流れる時間の中で自分の思っている事を相手に伝えながら、相手の思っている事を聞きながら相手を深く知っていくこと。
時には、お互いの存在を大切に思うがために、ぶつかり合ったりしながら信頼という絆を結んでいく事なのだとその記事を読んでいて感じた。
夫婦と名乗ってたって、そういった関係が築けないなら家族ではないのかもしれないし、
正式な家族といわれなくても、こういった関係が築いたら家族と言えるのかもしれない。
家族のようなあなた、
私には、そういった人が自分の家族以外にもいる事実を知り 幸せに包まれている日曜日の朝です。
人生の後半に家族のような存在としてともに生活する場所としてあるのが、特別養護老人ホームやグループホーム
現在、ともに過ごした施設の皆さまやスタッフの皆さんと一緒につくるお別れの会ってでいないものか?と心ある施設の皆さまと相談中です。
家族葬とは何なのか?
家族とは血縁者のみならず、家族の様にすごく人々でありそれらの人々がお別れに立ち会える提案できるといいですよね。