対局の死生観を持つふたりが
『死』について
赤裸々に語る。
本との出会い
職業柄か、『生きる』『死』 というような本のタイトルを目にすると手に取らざる得ない気持ちになる。
キリストの信仰を生きる曽我綾子。
法華経を哲学とする石原慎太郎。
この二人が語る『死』とはどんなものなのだろうか?と知りたい気持ちが我慢できず、レジでお金を払ったまますぐにコーヒーと椅子の確保できる場所に移動して本を開いた。
全く違った角度から語られるそれぞれの死生観はとても興味深い。
石原氏が、死は死であって、一瞬にして消滅するものだと考えているのに対し、人間の死は命の消滅にしかすぎず、魂は永遠であると考える曽我女史。
死について語ることができる仲であれば、生き方についても話が出来る、もしくは互いにリスペクト出来る間柄であろう。
帯にある
『死に向きあうことで見える、人が生きる意味』
死を思う事で、人生観は浮かび上がる。まさしくそう考える私の思う事と同じだ。
この本の中にはたくさんの面白い内容があった。
それについては、少しづつ紹介をしていきたいと思っている。
昨日は、中秋の名月でしたね。
美しい満月が迫ってくるように目の前にその美しさを表していました。家族3人で満月を背に散歩をしました。
こういう何気ない時間に私は命に感謝をします。